利川民俗陶磁器事業協同組合を視察・訪問。

東亜友誼慈業研究会(とうあゆうぎじぎょうけんきゅうかい)のNGO活動

陶磁器の古里、利川と広州の本格的登り窯名陶工表敬訪問記。<京畿道>

* 画像は、01.05.09 利川民俗陶磁器事業協同組合を表敬訪問後、李大栄夫人が迎えに来て、
後から来た李大栄理事長と四人で会食をし、外で記念写真。
(左から、李大栄理事長、同夫人、愛妻、私、レストラン「豊年米飯/풍년 쌀밥」にて) 

★ 前橋で開催した文柱天陶作展の影響力で、登り窯で焼く、
造形美の青磁・粉青沙器・白磁の陶工の話を聞きたく、スケジュールを立てる。

[朝鮮窯]李大栄(利川民俗陶磁器事業協同組合理事長)氏訪問記。
  ★ 98.06.22 古堂陶芸研究所から、国道3号線で利川の[朝鮮窯]を訪問する。
神田の「韓国語センター」
塚本亨が、送付の映画「
白神渡海」パンフレット等。

   李大栄理事長と夫人が待っていてくれて、先ず、[朝鮮窯]の看板の前で記念写真(画像7)
   そして、事務所兼展示場にて、接待を受け、展示中の作品の数々を拝見する(画像8・9)
   作陶中の現場見学と広い邸内を歩き、登り窯を案内して頂く<(画像10)
   事務所兼展示場(画像11)から、新築の自宅に案内され、
  李大栄夫妻の子供達の居る処で、再び接待を受けた後、
  市内の幾つかの陶工を紹介するとの事で、市内のレストランで韓定食を李大栄夫妻と私たち二人で頂く。
   御馳走に成った後、三軒の展示場場を案内して戴いたが、
  [松月窯]代表の金聖泰氏にしか、面談する事が出来ませんでした。
   許万完理事の車を置いて有る、[朝鮮窯]に戻り、再会を約し、
  李大栄夫妻と別れ、暗く成った中部高速道路から、
  オリンピック公園近くのソウル松坡区芳夷洞の常宿[ソウルホテル]に投宿。Z  06.24 帰国。

  ★ 99.06.28 金大中大統領表敬訪問の為、渡韓。麻浦区合井洞の「第一ホテル」に投宿。
   翌06.29 大統領官邸(青瓦台迎賓館)に、金大中大統領を日韓親善協会中央会一行として、表敬訪問し、会食。
   其の後、ロッテホテルでの式典出席後、「第一ホテル」に戻り、投宿。
   翌06.30 夕、常宿[ソウルホテル]近くのロッテワールド南の石村湖傍の日本料理店[湖林]に李大栄理事長夫妻に、
  出向いて貰い、会食する(画像12)
   理事長は、我々が金大中大統領を表敬訪問した事を現地の新聞記事で、拝見した旨の会話が有りました。
   三度の再会を約し、李大栄夫妻と別れ、[ソウルホテル]に投宿。Z 06.24 帰国。
高麗青磁の弥勒菩薩像。


  ★ 01.05.07 金海空港から訪韓。愛妻の家に投宿。Z
   翌05.08 蔚山から高速バスで、愛妻と二人ソウルに出て、リズホテルに投宿。Z
   翌05.09 リッツカールトンホテルで、朱相義氏と商談後、
  利川民俗陶磁器事業協同組合を表敬訪問(利川市文化広報担当官竹谷直子氏同席)。
   李大栄理事長が私達夫婦の来訪を夫人に電話した為、李大栄理事長夫人が迎えに来て、
  後から来た李大栄理事長と四人で会食をし、外で記念写真(topの画像です)
   東京の業者と展示会を開催したが、失敗し、現在は余程の資金力が無く、輸出は出来無いとの事。
   従って、資金を調達してから又、機会を持とうと言う事に成りました。

             【李大栄略歴】
     1954 利川で出生。
     1976 父李?承から、水麗陶窯を継承。
     1977 大昌窯設立。
     1982 水麗陶窯を朝鮮窯と改称。
     1988 中小企業共同組合中央会館壁画制作。
     1990 韓国第二十回工芸品競進大会入選。
     1993~1995 韓国伝承陶芸協会展。
     現   韓国伝統工芸家協会会員・韓国伝承陶芸協会会員・
         利川民俗陶磁器事業協同組合理事長。
     京畿道利川市新屯里水廣里12 [利川民俗陶磁器事業協同組合]水廣里406-4
   * 下のslide-showは、上左から、画像7~11が、朝鮮窯。12が、ソウル市内の石村湖傍の日本料理店[湖林]で、ランチ後。
李大栄 李大栄 李大栄 李大栄 李大栄 李大栄

      * 画像左から、「朝鮮窯」、「伝承手工芸品 古堂作品集」東南陶窯、「松月青磁」の各パンフレット。

             【金鐘浩(号 松月)略歴】
     1939 ソウルで出生。父金完培から陶芸技法を習い、
     1965 父亡き後、柳海剛の元に入門。
     1979 12年の習得後、独創的な作品を創造出来ると確信し、松月窯設立。
         造形と粧飾の技芸の松月青磁を完成させ、現在評価されている。
     [松月民俗陶芸研究所]代表 金聖泰  京畿道利川市沙音里504

[古堂陶芸研究所・東南陶窯]趙斗彦/조도엉 (号 古堂/고당)訪問記。
  ★ 98.06.21 金浦空港税関で、大量の蒲鉾を持ち込んだ為、かなりの足止め(15:45)。
   京畿道城南市公設運動場横の「禮多園ホテル」投宿。Z
   z 翌98.06.22朝、本会許万完理事の案内で、[古堂陶芸研究所]を訪問する。
   趙斗彦(号 古堂)先生が待っていてくれて、先ず、作陶中の現場を見せて頂き、先生の娘さんと三人で記念写真(画像1)
   そして、接待を受け、展示中の作品の数々を拝見する(画像2・3・4)
   趙斗彦先生は、青磁が専門で、御自分の作品が掲載の<美術年鑑>を持ち出して来て、説明を受ける。
   期待の登り窯を拝見し(画像5)、御話を伺うと実の処、登り窯の作品は、高価に成ってしまうので、
  輸出に関しては、十分な話合いが必要との事で、
  勿論、そんな考えで居た訳だが、本日は下見なので、仁寺洞の展示場に有る作品も拝見してから、
  又、御話をしましょうと[古堂陶芸研究所]を後にする(画像6)
   * 下のslide-showは、上左から、画像1~3、下左から、画像4~6。

此の後、12年後の2010.12.12の再会情報は、下記リンクに有りますが、画像等を体調不良入院中2017.9月下旬、
突然、<www.geocities.jp>より、削除され、画像の無い状態ですので、御了承下さい。

「古堂」趙斗彦の仁寺洞<古堂陶芸展示場>訪問記

(「고당」조두언의 인사동<고당 도예 전시장>방문기)  * 動画は、展示場店内と古堂先生。

  ★ 10.12.12 昨日・今日と良く晴れて、非情に寒いが、早めに[古堂陶芸展示場}を訪問する事にし、
       해밀톤 호텔(ハミルトンホテル)に出て、壱萬円を両替すると12,500ウォンだった。地下鉄梨泰院駅から、3号線で安国駅に降り立つ。
        [通路に<独島>(日本名竹島)の模型が有った。確か以前も見ているのだが、此れも教育なのだろうか?]
  * 画像は、左から、08年新設されたプリカの保証金変換機、独島の模型と其の説明文。
        <竹島・独島/독도・リアンクール島/Lian-court-rocksは、何処の領土>
        此の島は、1849年に、フランスの捕鯨船が発見し、命名。
        其れが、国際的に、呼称された為、
       米国の<地名委員会/United-States-Board-on-Geographic-Names'略称BGN>は、
       Lian-court-rocksを韓国領と断定して居たが、
       2008年7月に、「どこの国にも、属さない」とした為、
       韓国内で、問題化し、当時の町村官房長官が「米国の一機関の見解」と述べた為、
       米国は、憤慨し、又、韓国領に戻ってしまったと云う経緯が有る。

       ■ 1946年1月29日の連合軍最高司令部訓令では、
         「日本の範囲から除かれる地域→鬱陵島・竹島・済州島」と明記されている。
       ■ 1951年9月8日のサンフランシスコ条約では、
         「日本は、済州島・巨文島・鬱陵島に関する権利を放棄する」と明記されている。
        其れ以前の竹島は、島根県隠岐島の所管だった。 (詳細は、孫崎享[日本の国境問題]筑摩書房)
        領土問題も、全て、皇族存在の条件だった、米国の日本弱体化に有る。
       ■ 2023年5月4日の中央日報日本語版では、
         「独島が、韓国領土で有る事を示す古地図245点が、日本や米国等海外で、追加で発見された」と報じた。

       6番出口を出ると左手が、鐘路警察署で、立ち番の警察官が居るが判らないと言い、パン屋からの一方通行が「仁寺洞通」と答える。
       暫く歩くと、土産物屋の親父が商品を表に出しながら、
      手鼻を咬んでいる「水戸黄門が手鼻を咬むのが上手だったと本に書いて有ったが、其れにしても上手だ」と思いながら、
      路上の鼻水に気を付けながら、聞くと判らないというので、「電話番号が有るので電話して欲しい」と頼むと気安く、電話してくれて、
      場所が判明するが、[普通は、電話を借りてしまうのだが、鼻水が付いているだろうから、借りなかった]・・・
       古堂と二人の男女の店員は歓迎してくれたが、古堂はすっかり私を忘れている様子だった。
       二階の作品も見せて貰い、話し込んで、頻繁に来韓出来ないので、三重県からの留学生に後の事は任せる話をして、
      此のホームページの作成と、割引券の発行と共に、納得して貰い、留学生を待つ間に店内と仁寺洞通を写真撮影。
       暫くして、留学生が来たので、古堂と三人で近くの食堂に、今流行の<부추 비빔밥(にらビビンパプ)>を食べに行く。
       成る程、古堂が美味しいと云っていたが、美味かった。・・・商談等の事を頼み、再会を約束。
       帰路に、良い情報通の東大門市場の李義学の店に行ったのだが、済州島に行って居ると言うので、滞在中会えず終いだった。
古堂 趙 斗 彦 略歴
      古堂陶芸研究所は、韓国文化の粋で有り、伝統磁器の最高峰と云われる高麗時代の青磁、
     粉青沙器、朝鮮時代の白磁再現と創出陶窯の開発研究の為、1968年に現在の古堂陶芸研究所を設立して、
     土に独創的な象嵌技法に依る繊細蟻巧緻な文様、優雅な翡色、調和の有る形態、
     そして、単純ながら深みの有る線を一点々窯にて真心を込めて手造りして折ります。
      韓国陶芸の光栄を探し求める事を本文として、土と火が造る芸術の結晶で有る高麗青磁の基礎と成る陶土の精選、
     足踏み轆轤の成形、神秘な釉薬に依る焼成過程等を誠心誠意磨かれた技術と伝統工芸を完全に駆使して、高麗青磁・朝鮮白磁の復元しました。
   * 下のslide-showは、[古堂陶芸展示場]店舗外側と内側。
       
古堂 趙 斗 彦 年表 】 (左から右へ)
1935.10.25 全北完州郡で出生 1968 東南陶窯研究所設立
1973 ソウルコスモス百貨店展示会 1974 三鷹ギャラリー展示会
1975 ソウル新世界百貨店展示会  仝  伊那市商工会館展示会
1976 ソウルコスモス百貨店展示会 1977 ソウル新世界百貨店展示会
 仝  水戸市民会館個人展 1978 岡谷市民会館個人展
 仝  諏訪市民会館ギャラリー展  仝  飯田市商工会館ホールギャラリー個人展
 仝  松本市鶴林堂書店ギャラリー展 1979 ソウル漢陽ショッピングセンター開店記念個人展
 仝  鎌倉市五鐘洞ギャラリー展  仝  甲府市テレビ山梨ホール展
 仝  浦和市須原書店ギャラリー展 1980 ソウル慶南ショッピングセンター展示会
 仝  東京都千代田区大手町ギャラリー展  仝  東京都渋谷区陶芸サロンしぶや展示会
1981 全州商工会議所展示会  仝  釜山市光復洞ロータリー画廊展示会
 仝  大阪府立労働センター画廊個人展  仝  伊那市商工会館展示会
 仝  第十四回東京国際見本市展示 1982 韓国名地巡回個人展
 仝  丸亀市民会館展示会  仝  新潟市大丸百貨店展示会
 仝  韓国民芸品生産業体「商工部指定」  仝  韓国第二十回88オリンピック工芸品競進大会入選
1983 第五回西日本陶磁器フェスタ展示  仝  韓国美術大典推薦作家
1984 ソウル世宗文化会館個人展  仝  北九州市世界観光博展示会
 仝  韓国第十四回工芸品競進大会入賞  仝  韓国美術大典招待作家
 仝  ソウル第一回88オリンピック記念品展示会入賞 1985 東京都渋谷区プラザ展示会
 仝  大阪市高島屋百貨店展示会  仝  韓国芸術文化協会陶芸部門「金賞」受賞
1986 第十七回大阪国際見本市展示  仝  韓国伝統美術公募展招待作家
1987 韓国第四回美術祭審査員 1988 新潟市大丸百貨店展示会
1989 ブラジルサンパウロ個人展 1991 民団本部八階展示場個人展
1992 大阪韓国総領事館ホドリギャラリー個人展  仝  北九州市西日本綜合貿易館展示会
1993 奈良市ローヤルホテル展示会 1994 鳥取市実林堂ギャラリー個人展
 仝  東南陶窯研究所を古堂陶芸研究所に改称 1995 広島市丸善三階ギャラリー個人展
 仝  野田市ギャラリー個人展 1996 柏市そごう百貨店個人展
1997 宇都宮市展示会 2001 浜松市松菱百貨店展示会
1984~適時 日本「美術家名鑑」収録 1986~適時 日本「美術年鑑」収録
         [窯 場]京畿道廣州郡實村面水陽里427-1  電話 031-762-6811
         [展示場]ソウル特別市鐘路区仁寺洞168   電話 02-732-0294  FAX 02-735-9989
★ 古堂 趙斗彦の公式ホームページは、有りませんので、
了解を得て、このPAGEを作成しましたが、
其の後、信頼の置ける代理人を通しての下記遣り取りに依り、
今後、支援する意味が無いので、古堂との関係は此れで終了致します。
 Sunday 2/13, 2011 <展示会は出来無いとの回答有り>
     『他の事なら何でもOKだが、日本での展示会だけは嫌だ』だが、「割引券に付いては、これで良い」との事。
      理由は、1、先生の年齢 2、先生の体調不良 3、日本・韓国の経済が今、悪い事
          4、以前、日本で展示会を遣った時、飛行機の手配等、面倒な事が有ったらしく、うんざりした…との事。
 Monday 2/28, 2011 <知り合いの陶工を紹介して欲しいの回答は>
      「知り合いの陶工が居ない」とかなり消極的でした。
      しかし、「日本からのお客さんを直接、古堂のお店の方へ、廻して欲しい」との事。
     私は、焼き物の中で、一番好きなのが高麗青磁で、
    憂いを持った神秘的な青磁の「金銅弥勒菩薩半跏像」を所蔵していたのですが、
    壊してしまいました。
     古堂の作品が誰の元に行き、誰の心を癒すかのお手伝いをしたいと思って居たが、
    自分の利益ばかりで、すっかり呆れてしまった。
     昔の陶工は、日本の同和に値する<白丁>だった為か。?理解に苦しむ。
    此のPAGEを閉鎖する心算だったが、遭えて残す事にする。

 1997.03.19~23、前橋市で開催の文柱天陶作展の成功例を御覧下さい。
 1999.08.08、韓国伝統家具をお買い求め戴いた人間国宝 松井康成先生等が来訪も御覧下さい。
 2001.05.09、李大栄理事長等利川民俗陶磁器事業協同組合を視察・訪問も御覧下さい。
          京畿道廣州郡實村面水陽里427-1 [古堂陶芸展示場]ソウル特別市鐘路区仁寺洞168

[恒山陶芸研究所]林恒澤(号 恒山)訪問記。
   ★ 05.06.21 韓流グッズ仕入と[恒山陶芸研究所]訪問の為、渡韓。梨泰院の金星荘旅館投宿。
   翌06.22 朱相義氏と商談後、南大門・東大門市場で仕入。金星荘旅館投宿。翌06.23 同様。翌06.24 同様。
   翌06.25 江南高速バスターミナルから利川行き。利川バスターミナルからタクシーで、恒山陶芸研究所到着。
   昨日来ようと電話をしたら、都合が悪いとの事で、今日に成った為、林恒澤氏は待っていた。
   「実は、98年6月本会許万完理事の案内で、訪問する予定だったのですが、中々時間が無く、訪問する事が出来なかったのですが、
  先生の出演した映画「白神渡海」を上映して、欲しいと言う依頼を受けたので、訪ねて来ました。」と言ったら、
   「許万完理事の事は、覚えている。」と歓待してくれて、成田空港免税店で求めた洋酒をプレゼントすると、
   映画「白神渡海」は、此処でもローションをし、利川市も協力したので、詳しい市の職員を呼ぶからと電話をして、来てくれたのが、
   前回、陶磁器事業協同組合で、御会いした文化広報担当官竹谷直子でした。三人で記念写真(画像13)
   「王様の米飯の家」にて、三人で釜飯韓定食を御馳走に成り、恒山陶芸研究所に戻り、登り窯を拝見し(画像14)
  映画「白神渡海」のVTR鑑賞後、竹谷直子に小川益王監督の連絡先を教えて頂き、バスターミナル迄、送って貰う。
   梨泰院の金星荘旅館に帰り、就寝。翌06.26 愛妻の関係者が、態々釜山から上京して来たので、へミルトンホテルで面談。
   其の後、東大門市場に出向き仕入後、金星荘旅館に帰り、就寝。翌06.27 帰国。
             【林恒澤略歴】
     1945 忠北陰城郡で出生。
     1973~1977 陰城女子高等学校美術科招請専任講師。
     1977 ソウル新世界美術館個人展。
     1980 ソウル世宗文化会館無窮花陶芸展。 ソウルエルカント美術館東洋画19人展。
     1981 韓中書画文化運営委員。      韓国文化伝統芸術大賞展推薦作家。
     1984 ソウル美都簸坡画廊第二回個人展。
     1987 ソウルロッテ美術館第三回個人展。
     1988 伊万里市陶磁器展示館個人展。   福岡県吉井町中央公民館個人展。
     1989 ソウル新世界美術館第四回個人展。
     1991 広島県民文化センター展示会。
     1992 姫路市フォーラス百貨店個人展。
     1996 東京久保田ギャラリー個展。
     1997 ロシアペテルブルグ民俗博物館展示会。
     2004 大韓民国陶磁器工芸名匠(2004-5号)授与。
     京畿道利川市新屯里水廣1里318-3
     大韓民国伝統工芸を伝承するお二人の名匠訪問記。を御覧下さい。
   * 画像右は、06.06.19 江南バスターミナルから、利川へ向かう高速上の車中。(ドライバーに「위험해요/危ないよ」と云われてしまった)

   06.06.18 WORLDSTAR・韓国白年雪先生記念事業会等の招きで、茂木理事と渡韓。
   仁川空港出迎えから、総勢7人の炭火カルビと冷麺の「名家公園ガーデン」での歓迎食事会、
  九老区のジュネピンモーテルの手配とVIP並みの歓待を受ける。
   翌06.19~06.20 其々の事務所を表敬訪問。韓国歌謡界進出支援&韓国歌手招聘事業。を御覧下さい。
   06.21 茂木理事と高速バスで、利川へ到着後、タクシーで、研究所へ、今回は娘の林昌朗が居て、色々と話し、
  燃え盛る炎の登り窯を拝見し(画像15)、名古屋万博(愛地球博)の韓国館に展示した500万円の壷と一緒に茂木理事を撮影(画像16)
   恒山先生の著書を記念に戴き、サインして戴く。(画像17・18)
   恒山先生に、同時に名匠に成られた螺鈿漆器の任忠休先生を紹介して戴く事に成り、態々来て頂く、
  任忠休先生を待っている間に、ソウルから迎えが来て、九里市に有る任忠休先生の工房を見学してから、ソウルに戻る事にして、
  任忠休先生の車に茂木理事と共に同乗し、向かいの車は追従する。
   美しい螺鈿漆器の出来上がる工程を拝見し、後日展示場に出向く約束をして、工房からソウルに戻り商談。「ジュネピンモーテル」投宿。
   翌06.22 地下鉄で高陽市の特殊印刷工場視察。ソウル市内に戻り、教保文庫・東大門市場で仕入。ジュネピンモーテル投宿。
   翌06.23 同様に東大門市場で仕入。ジュネピンモーテル投宿。翌06.24 帰国。

   * 恒山先生出演で、竹谷直子に、教えて貰った映画「白神渡海」の小川益王監督宛、本会資料等送付したが、今だ、何の連絡も無い。
   * 下のslide-showは、上左から、画像13~15、下左から、画像16~18。
           
   * 下のslide-showは、韓国の陶芸作家関連のevent-pamphlet。
   【現代美術作家選集Ⅺ 韓国陶芸作家10人編】【恒山 林恒山 朝鮮白磁と粉青沙器展】
   【露西亜韓国伝承陶磁展】【薩摩焼400年祭記念 日・韓陶磁器交流展】【松坡陶芸】。
         
      本会は、2012年7月8日(日)大泉町文化むら大ホールに於いて、 被災地支援映画「フラガール」上映会上映会に続き、
     第二弾から、第八弾迄、「除染作業」等の支援をしたが、<被災地の悪徳業者1>  <被災地の悪徳業者2>
      酷い目に遭い、ブラックリストの個人・企業が多い為、国家も、被災地には、税金を使わない方針に、変更の為、被災地支援から、撤退し、
     今後は、ミャンマー支援の方向です。
大熊町役場会津若松出張所を訪問、交通整理の赤井光清氏との出会いと被災地復興計画
双葉郡復興は、社会貢献する事業計画しないと再び、災害を受けます。★
復興の核は、山本信人博士のGcMAFHIV等感染症難事病患者を短期 完治させます
双葉郡の一行政に GcMAF工場病院設置、病に悩む皆さんを救済。★
水脈探査した母なる大地に、栄養分が有る我々の遺体を還す<土葬霊園>を山腹に造成。
自然災害が多いのは、山に埋葬しない事で、遺体を燃さず、大地還す。★

誰もが望む、健康と長寿の万能薬・食べる化粧品<乾燥厚岸草・鹹草/함초>顆粒
万能薬 &食べる化粧品「厚岸草함초」を尋ねて、 仁川江華島訪問2015.6.1.
万能薬&食べる化粧品厚岸草鹹草/함초貴女に、御提供します!!。★

日韓親善NGO活動四拾貳年国際協力団体 東亜友誼慈業研究会
総務大臣届出四十八年政治団体  三宅藤原氏族会 (旧 児島高徳公直系同族会)
会長 三宅英雄 [児島高徳公陰陽直系二十四世裔]

〒370-0516 群馬県邑楽郡大泉町中央二丁目10-19   電話&Fax 0276-61-0560
      公開2008年09月01日   更新2024年02月13日   <敬称略>

金大中大統領訪問記等   愛車単独3000キロ韓国周遊の旅   同和姓一覧
SUBARU   M資金   従軍慰安婦   釜山周辺の観光地
児島高徳と増位山の三保ヶ関部屋   親戚 三保ヶ関部屋訪問記
蔵書リスト    M&Aと大型案件   三宅昭夫   SONAYA女屋達廣


저작권(C) 동아우의자업연구회 회장 미야케 히데오
Copyright (C) 2005-Permanence Hideo Miyake. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system