96年05月16日(木) | 群馬県民会館小ホール | 定員603人×二回 | 昼・夜上映 | 原作者(尹基)舞台挨拶 |
96年07月05日(金) | 高崎市文化会館ホール | 定員760人 | 夜上映 | 原作者(尹基)舞台挨拶 |
96年08月17日(土) | 足利市民プラザホール | 定員826人 | 昼上映 | 原作者(尹基)舞台挨拶 |
96年12月22日(日) | 前橋市民文化会館大ホール | 定員1268人 | 昼上映 | 全観客動員数四千六十人 |
全て、満席。 | 立ち見有り(動員数に含まず)。 |
一、 | 希薄に成った人間関係の回復。 | 二、 | 更なる日韓両国の理解と交流等。 | ||
三、 | 真実の歴史を次世代に伝える。 | 四、 | 差別と偏見を捨て、尊敬する気持ちを養う。 | ||
五、 | 此の感動と興奮を一人でも多くの人に伝え合う。 |
◎映画「愛の黙示録」主要スタッフ | |||
---|---|---|---|
監督:金洙容 | 撮影:鄭一成 | 脚本:中島丈博 | 原作:尹基 |
◎パンフレットに、掲載の<後援> | |||
毎日新聞社 | 上毛新聞社 | 群馬テレビ | 下野新聞社 |
◎パンフレットに、掲載の<協賛> | ホンダプリモ新生太田西店 | (有)牧野情報センター | 日本と朝鮮半島を考える会 | (有)清水自動車商会 |
ロマン(株) | (有)佐藤製作所 | アルファ芸術協会 | (有)ユー&ユーシステム |
稜和解析設計事務所 | 渡良瀬将棋教室 | ファッションとみた | (有)丸山鉄工 |
ウチダメガネ | 世一観光(株) | 金柄秀 | ジンセンアップの神川工場 |
ワタビキミート(株) | (株)コスモフーズ関東支店 | (株)吉田マネージメント | 新栄緑化 |
高橋自動車(株) | 豊泉産婦人科医院 | (株)セイロモータース関東 | (株)フロンティア商会 |
いえさか産婦人科医院 | (有)上毛薬品 | (有)優美堂 | 高橋米穀店 |
(株)べックコーポレーション | (有)ホシカワサービス | 藤岡商店 | 東邦病院 |
昭和金属(株) | (財)少林寺拳法連盟前橋支部 |
◎パンフレット掲載出来なかった | |
---|---|
(財)群馬県国際交流協会 | 土屋洸専務理事・勅使河原司郎常務理事・清水弘志理事・小阿瀬達哉業務課長 |
東日本旅客鉄道(株)[高崎駅] | 高崎市役所[松浦幸雄高崎市長&秘書課&福祉課] |
高崎映画祭事務局 | 群馬県手話通訳派遣事務所 |
群馬県生活協同組合 | 群馬県庁映画「眠る男」製作委員会事務局 |
(株)藤田ビジネスプロモーター | 映画「眠る男」藤倉博プロデューサー |
(株)サウンド・エコー | (株)ロイヤルホテルプランニング |
群馬県警察大泉署 | 在日本大韓民国民団群馬県地方本部 |
中曽根康弘事務所 | 群馬県手話通訳派遣事務所 |
3月19日(金) | 午後 | 羽田空港発 | 金浦空港着 | 歓迎行事 | 国立墓地献花 |
ボーイスカウト連盟勲章授与式 | 金鍾泌総理夕食会 | ||||
3月20日(土) | 午前 | 経済団体朝食会 | 日韓首脳会談(少数) | 日韓首脳会談(全体) | 共同記者会見 |
午後 | 金鍾泌総理昼食会 | 政策スピーチ | 韓日議員連盟茶会 | 金大中大統領晩餐会 | |
3月21日(日) | 金浦空港発 | 大邱空港着 | 海印寺視察 | 書及び揮毫交換 | |
午後 | 海印寺昼食会 | 大邱空港発 | 金浦空港着 | 歓送行事 | |
金浦空港発 | 羽田空港着 |
<木浦・共生園の孤児達が、病床の小渕総理に贈った千羽の折り鶴> | |
(천 마리의 종이학/chon mari-e jong-i-hak) | |
2023년1월14일 토요일 조선일보 기지 2023年1月14日 土曜日 朝鮮日報記事 | |
김황식 (전 국무총리) 의【풍경이 있는 세상】 | |
gim-hwang-sik (jon gung-mu-chong-ni) e 【pung-gyong-i in-neun se-sang】 | |
昨年11月26日、「3千人の孤児の世話をした女性」と題して、コラムを書きました。 | |
其の後、コラムに引用した方と連絡を取り合い、面白い話をしました。 | |
私一人だけ、知っ置くには、勿体無いと思って、紹介したいと思います。 | |
木浦(목포/mok-po)で、 | |
3千人の孤児の世話をした尹鶴子(윤학자/yun-hak-jja 日本名 田内千鶴子)女史の長男で、 | |
日本で、 | |
在日韓国人の御年寄りの為の療養施設「故郷の家」を経営して居る尹基(윤기/yun-kki)理事長が、 | |
私のコラムを読んで、丁度、韓国を訪問する機会に、私を訪ねて来ました。 | |
そして、木浦共生園と小渕恵三元日本首相との縁を聞かせて、呉れました。 | |
小渕総理は、1998年10月、金大中大統領と共に、 | |
「21世紀韓日パートナーシップ共同宣言」を発表し、 | |
日本が、過去の植民地支配で、韓国国民に、大きな被害と苦痛を与えた歴史的事実に、 | |
対する痛切な反省と共に、率直な謝罪をした方です。 | |
小渕総理は、尹女史から長男の尹基、孫娘の尹禄(윤록/yul-rok)に、繋がり、 | |
運営されて居る共生園の事情が、日本のNHKテレビにドキュメンタリーで紹介されたのを見て、 | |
感動し、尹禄共生園院長に、直接電話を掛け、「是非、一度木浦を訪ねて行く」と約束しました。 | |
金鍾泌首相が、日本を訪問した際、歓迎晩餐会に、尹禄院長を招待しています。 | |
尹鶴子女史が、亡くなる前、病床で、梅干を食べたいと言ったと聞いて、 | |
梅の木で、有名な自分の故郷群馬県の梅の木の苗木20株を木浦共生園に送り、 | |
共生園は、此れを尹鶴子女史記念碑の傍に植えました。 | |
小渕総理が、2000年に脳梗塞で倒れると、共生園の子供達は、 | |
小渕総理の快癒を祈る気持ちで、千羽の折り鶴を折って、病床に送りました。 | |
小渕総理の奥さんである小渕千鶴子夫人は、折り鶴を病室の点滴スタンドに掛け、 | |
総理が、目を覚ますと真っ先に、視られる様にして、置きました。 | |
然し、首相は、回復出来ず、亡く成ると、 | |
小渕夫人は、千羽の折り鶴を棺桶に、一緒に入れました。 | |
夫人は、共生園の子供達に、 | |
「皆さんが、送って下さった折り鶴は、夫を天国に導いて、呉れると信じています。 | |
何時か、夫に代わって、皆さんの元気な姿に、会いに行きます」と手紙を書いています。 | |
其の後、小渕夫人は、2008年に、木浦共生園を訪れました。 | |
面白いのは、尹鶴子女史の本来の漢字名は、鶴子では無く、 | |
千鶴子で、小渕夫人の名前も、千鶴子です。 | |
そして、木浦共生園の子供達が、折って送ったのも、 | |
千羽の折り鶴で、彼是、不思議で、美しい縁です。 | |
次は、矢張り、コラムで、御紹介した西森潮三元高知県議会議長に、関するお話です。 | |
西森議長は、尹鶴子女史の故郷で有る高知県に、尹鶴子女史記念碑を建て、 | |
高知県に、有る安重根義士遺墨が、韓国に返還される様、 | |
努力しながら、韓日友好協力に、努めて居る方です。 | |
処が、コラムを書いた数日後、自分が、大統領から、表彰状を貰う事に成った事が、 | |
如何云う事か、経緯を聞いて、来ました。 | |
調べて見たら、安重根義士の遺墨韓国返還に、努めた功績で、 | |
広島総領事館の推薦に依って、与えられる表彰状でした。 | |
此の方も、韓国を訪問して、表彰状を持って、私を訪ねて、来ました。 | |
此の方は、私が、前に御願いした事、高知県に、尹鶴子女史の記念碑に続き、 | |
高知県と縁の有る安重根義士の記念碑を建てて、 | |
欲しい願いを履行する事を貴方の余生の最後の課題にすると、 | |
非常に、悲壮に、誓いました。 | |
其れで、100歳迄、生きながら、幾つかの仕事をもっとして、欲しいと笑いながら、頼みました。 | |
最後は、金瑛錄(김영록/gim-yong-nok)全羅南道知事が、電話連絡して来た事です。 | |
西森議長に、安重根義士記念碑を高知県に、建てて、欲しいと頼んだと云う内容を読み、 | |
高知県と姉妹関係を結んで居る全羅南道としても、助けたいと云う御話でした。 | |
其れで、民間レベルで、先ず、推進して見て、 | |
若し、全羅南道の役割、必要な場合、相談すると申し上げました。 | |
関心が、有難かったです。 | |
コラム一編の御陰で、心温まる贅沢を享受しました。 | |
朝鮮ドットコムホットニュースBest | |
【此の記事の日本語訳】、。で改行しました。三宅英雄 |
右の動画三本は、
2023年10月13日(金)、木浦・ 共生園設立95周年記念式典。 開会の辞&祝辞弐件。 ①社会福祉法人共生福祉財団 尹基会長開会の辞。 youtube動画 |
仝、
②大韓民国尹錫悦大統領祝辞。 《撮影・提供》 社会福祉法人共生福祉財団 (木浦共生園)⇒ 仝年11月9日、本会受信。 youtube動画 |
仝、
③日本国岸田文雄総理祝辞。 代読 衛藤征士郎代議士 (日韓議連会長代行) 裏金安倍派の為、動画削除 ★ [非共有]★ |